プラスチックのイヤリング

私はいま、東京でひとり暮らしをしている。

4年前の今ごろに、東京で就職するためにマンスリーマンションを借りて上京した。当時は前の職場の近くに借りていたアパートを引き払って、実家に戻りかけていたところだった。

引越しの荷解きどころか、家具以外の、書籍や服などのほとんどは段ボールに詰めて貸し倉庫に置いているような状況で、身体だけがこの家にいるという状況だった。無職だったことも相まって、20年以上住んでいた家だというのに、ひどく居心地が悪かったのを覚えている。

 荷物をすべて実家に戻したら、とも言われていたけれど、来シーズンの服も鞄も靴も、大量の本も、そのままにしておいた。この家にはこのあともずっと居るわけではないのだろう、と思っていたからだ。

一度家を出て、よく分かった。私は、20年近くを過ごしたこの家からは、できるかぎり、離れていなければいけないのだと。

 

子供のころ、とにかく家が穏やかであるようにと、日々頭を働かせていた。

祖母と母の嫁姑間の仲が、どうしようもないほど悪かったからだ。

祖母は父と私のことを愛し、母と弟のことは疎んだ。母のことを「おかあさん」と呼ぶとひどく気を悪くするので、お母さんという単語を発することはなくなった。寝る時も私だけが祖母の隣だった。買い物も、出かけるときも、家で過ごすときも、私は祖母と一緒だった。家族としての単位で出かけることはあれど、私が母とふたりで過ごした時間はほとんどなかった。

祖母のことは好きだった。けれど私は、母のことも好きだったのだ。父のことも弟のことも祖父のことも好きだった。

それでも、祖母と父以外の家族を好きだと言うことも、笑顔で話すことも、祖母の目があるとうまく出来なくなった。しないほうが家庭が穏やかに保てるからだ。

食卓に離婚届が置いてあったことも、母が泣きながら家を出て行ったことも、祖母が家出しかけたこともある。怒鳴り合いになったこともよくあった。自分も含め、家族全員の怒鳴り声を知っている。怒鳴っても何の解決にもならないのに、怒鳴るしかできない。怒鳴らずにはいられない。それが嫌で仕方なかった。

いまでも私は、誰かの怒鳴り声を聞くとぞっとする。

 

小さいころは怖いと思って言うことを聞いていたが、それが哀れに思えるようになったのはいつからだっただろう。

祖母が死ぬまでに、「死ねばいいのに」と数え切れないほど思った。少なくとも祖母がいなければ、こんな諍いは起こらないのだからと何度も思った。けれど、18歳の夏、祖母の死に顔を見ながら、「死んでよかった」なんて、少しも思えなかった。

葬儀の折に、声を詰まらせて膝を折る父の背中を、目を腫らせて泣く母の頬を、180センチの身長を揺らして号泣する弟の横顔を見ながら、ようやく家に安寧が訪れるのだと思いながら、ただ、彼女に愛されていた18年間を思った。

 

愛する方法が下手くそだった祖母が嫌いだった。我関せずと何もしなかった祖父が嫌いだった。祖母と母の間をどうしようもできなかった父が嫌いだった。うまくやれなかった母が、そもそもこんな家に嫁に来てしまった母が嫌いだった。母に愛され、自由に育った弟が嫌いだった。

たぶん今も、だれのことも許せていない。だけど、家族だからそれでいいはずだ。誰のこともこれ以上嫌いになりたくなくて、そのために家を出た。正解だったと思う。

おかげで、みんな思い出として美化されて、いま家族に対して憤ることはない。穏やかでいられる。

毎日顔を合わせることがないと不満は生まれない。ただ、心配だけが生まれていく。身体を壊していないか、元気でいるか、喧嘩していないか、困ったことはないか。

そういうふうに思えると、少し安心する。

私は、家族のことが嫌いなわけではないのだ。

家族のことを愛している。

いろんなことはあったけれど、わたしの子供時代は、家族の中にいたわたしの人生は、しあわせだったのだと思える。

 

子供の頃、たまに、子供向けのアクセサリーの通販を使っていた。

今みたいにネット通販がない時代だったから、小さいパンフレットのようなカタログを見ながら、欲しいものを吟味してハガキに書く。到着を待ちわびる日々も楽しみのひとつだった。

あの頃からアクセサリーや雑貨を見るのが好きだった。すべてを買えなくても、きらきらしたものやかわいいものを見ているだけで楽しくて、幸せだった。

服やメイクに無頓着な母と違い、祖母はいくつも高い眼鏡を買ってきたり、カシミヤのコートやシルクのブラウスを何着も買ったり、出かける時は行き先が病院であってもきっちりメイクしていくタイプの人だった。

上質なものが好きで、自分を飾るのが好きで、革の靴が好きで、アイシャドウが好きで、いい匂いのする化粧水が好きだった。若い頃はこんな服を着た、歌を歌うのが好きだった、と話すときの祖母の顔は、女の子そのものだったことを覚えている。

私が「お揃いでつけよう」と言って、選んだ色違いのヘアピンを、銀色のような、美しい白の髪につけてくれていた。

ああなりたくない、と何度も思った祖母と、同じようなものが好きだ。

顔も似ているのだ。きっとそっくりな女に育っている。

 

祖母にいくつも買ってもらった、プラスチックのおもちゃのアクセサリーのように、心のどこかできらきらとしている。

いまは手元になくても、私にとって懐かしく、軽く、ただ美しく見える。

思い出に、似ている。

わたしにとっての家族とは、そういうものなのだ。

 

私も同じように、家族に愛されている。

こんなに傲慢でいられるのは、その自覚があるからだ。

 

だから、いつか泣く日が来ることも、分かっている。

 

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