何もかもが億劫になるとき

そういうときの心理状態はやっぱり、変わることや失敗することへの怖れなんだと思う。

いつから、何かを発言したり何かをつくったりすることがただ怖いことになってしまったのだろう。

自分自身も、他人の意見や作品を全て受け入れることが出来ないし、それでいいと思ってる。排他的な部分があるのに、自分のことはそれで許している。他人のことも、許せないわけではないはずだ。許す許さないという他者に向けた思いは、たぶんあまり無い。ただ怖い。何が怖いのかといえば、たぶん、傷つくのが怖い。ひどく主観的な感情だ。

だれも、私を傷つける意図はない。むしろ誰かが私を傷つけてるなんで思わない。そんな他者からの何かにさらされるほど、私は著名ではない。それを分かっているのに私は勝手に傷ついている。

自意識過剰だ。失うものなんて何もないはずなのに。過去の自分に囚われて、過去の自分より良いものを書かなければいけないと思っている。いや、過去の自分より、だけならまだいい。でも違う、たぶん、現在の誰よりも、と思っているんだ。それを叶えるにはあまりにも他者が多く、そして基準も無い不安定なフィールドで「誰より優れている」なんて、望んでも絶対に手に入らない。

手に入らないことを知っているから、挑むことが嫌になる。

そもそも誰も、そんな目で作品を見ていないだろう。そのとき読んでるものが最高に楽しければ最高に楽しいし、一冊前に読んだ本が同じくらい最高なら、どっちも最高、で終わりだ。自分が読んでるときも、細かく一冊一冊に順位をつけたりしない。この本は特別に気に入った!好きだ!と思うことはある。でもそれが過去に読んできた何冊もの素晴らしい本より上か下かなんて、そんなことは考えない。

それなのに自分が作品をつくるときになると途端に、品評の目に晒されることが怖ろしくて仕方なくなる。

数字は怖い。ずっと数字で評価されてきたから、数字がよくなければ「よくない」ものなのだと思ってしまう。主観的な判断が出来なくなっているんじゃないかと怖くなる。食べログを見るし、Amazonのレビューを見る、映画のレビューも見る、ツイッターで商品名を検索する。他者がいいと言っているものは、おおよそ、悪くないものなのだろうと思っている。そんな他者評価に囚われている。

抜け出すにはどうしたらいいんだろう。自分が書いたものに星一つ付かないのではないかと怖くなる。星が五つ付いても、友人が情けで入れたのだと思うだろう。他者評価を望んでいないと言いながら、他の他者へ見える形で評価してほしい。あまりにもわがままだ。

何かを買ったりすることに対してはあまり他者に依らずに自分の意思で買っているのでは?と思うけれど、もしかしたら買い物依存になってるだけなのかもしれない。ツイッターに書かない限り、自分の買い物が無駄だとかいらないものだとか誰かに思われることは無く、買ったものは喋ったり私の部屋を評価したりはしないからだ。どれだけ私の部屋や収入や生活レベルに不釣り合いでも、誰も何も、知らないのだから。

誰も知らないところで、知らない名前で書けばいいのだろうか。やり直すつもりで。でも、それでもきっと、私の(おそらく変えることのできない)キャラクターでは誰にも何も言われないのだろうから、友人に何か一言でも言ってもらえた方が、ましなのだろうか。そんな虚しい葛藤ばかりをしているから、何も書き出すことができない。悩んでる間は、誰にも評価されず、何の心配もしなくていい。考えることを放棄しているから、たまに、頭が空っぽになって、ただベッドの上で携帯を握りしめながらぼうっとしてしまう。

 

30分で1500文字以上を書くのは、小説を書いているときならかなりのハイペースなのに、こんな馬鹿みたいな文章だけが書ける。

(全体を読み返したら、中学生のときに書いてた日記と全然変わらなくて、本当に馬鹿なのかと思った。結論としては、無くすものなんてやっぱり何もないのだから、前みたいにアドレナリンとプレッシャーで狂いたいなら、早く書け、ということだけが分かった。書くことは元々リラックスできる趣味でも何でもないし、そんなことは求めてなかったはずだ。)